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2009年12月24日 (木)

クリスマス

さいきん、「真心」という言葉が気になってる。

聖歌隊で賛美した曲の歌詞の中にでてきて、
なんとなく考えはじめた。

「まごころ」って辞書で引くと

1、他人のために尽くそうという純粋な気持ち。
2、偽りや飾りのない心。
3、誠意。

こんな感じ。
今の私にとっては2の意味がしっくりくる。

こころの内側の扉をいま開いて、
すべて飾らないわたしで、あなたを迎え入れる。

わたしのうちに入ってください。
わたしのうちに住んでください。

わたしの救い主。
わたしの主。

なんとおそれ多いことでしょう。
天と地の支配者でおられる主が
私の罪のためにこの世に生まれたことは。

すべて飾らないわたし。それがまごころ。

さいきんの読書はハイデガーの解説書と三木清『人生論ノート』。

あと、デボ―ションテキストがいつも手元にある感じ。

いま、「自分が分かりません期間」で、答えが書いてありそうな本を

読んでいるのです。

迷子で、「くるしー」って感じ。いつもこころのどっかがゾワゾワして

休まらない感じ。

哲学を勉強してると、全然答えなんて見えてこない気になったりする。

宗教は違う。分かりやい答えをくれる。

宗教は答えがある。だから、それにそって実際に生きることが宗教だと思う。

でも、私は信仰者でありながら、答えが出せなくなる。

はっきりと言えなくなる。

私は宗教者なのに、答えを知らない。

苦しくなる。

今日、クリスマスイブだってゆーのに、朝から泣きとおし。

1つ予定をキャンセルしてまで、朝から泣いていた。

ときどき、感情に支配されてベッドから起き上がれなくなる。

そんな日だった。

将来に対する不安、クリスチャンとしてなんの答えも告白できない自分、

三日くらい前から突如として心の奥のほうからノコノコ出てきたオノシへの思い。

不安、痛み、苦しみ、が私のなかにドバーっと溢れて、

半日めーそめーそめーそ。

「今日はクリスマスなのに、どうして純粋な気持ちでイエス様が人となられたことへの感謝をささげられないんだろう?」

って悲しくなった。

将来への不安にまみれてて、焦ってて、クリスチャンとしてダメダメで、

なんの答えも出せなくて、証になるような生き方も出来なくて、

二か月前の失恋にふせってる、どう考えてもダメダメな私。

このままでいい、とは違う。でも、このままで私はイエス様のお誕生を祝える。

祝いたい。祝おう。と思った。

それでいい、と神様が言ってくれた。

しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。 イザヤ9:1

人と比べて私の悩みは小さいとか、そんなことはどうでもよくて、

私はいま悩んでいる。私にとっては十分苦しい。

それこそが私が私自信を見つけるための苦しみ。

私は、私自身を見つけて、私は神様と一つになる。

とって食べなさい。と語られる神様に私は応答する。

今 御前にへりくだって、同じくイエスをキリストとした仲間とともに、

人となってくだられたイエスのお誕生を感謝しよう賛美しよう。

ベツレヘムの貧しい羊飼いたちが生まれたばかりのイエス様を

おがみに行ったように、私も主の御もとにいこう。

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